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コラム
富田 たかし先生
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「アクアライフコミュニティーが地域社会に元気と希望を与える」をテーマに、
便利さや効率を目指すことで失ってしまった私たち日本人へ、人間力向上を促す「文泳両道」で心の栄養や癒しを補給する各種オリジナル・ビタミンをシリーズでお届けいたします。
ご案内役は、テレビやラジオでおなじみの心理学者・富田たかし先生です。

今回は、オリンピック水泳選手の登竜門、全国ジュニアオリンピックカップ大会実行委員長、(財)日本水泳連盟理事であり、千葉県柏市で柏洋スイマーズを運営している鈴木浩二さんをゲストにお招きして、7回のシリーズ連載でお届けいたします。

ビタミンH(心構え)の補給で、人間力向上の効果が出る
鈴木 浩二氏
富田 たかし先生

第七節
安易な「頑張れ」ではなく
明確な指示が子供の発育を成長させる

鈴木氏
よく「頑張れよ」って言葉を耳にしますが、これって自分になんにもできないから、口をつく言葉だと思うんです。具体的なアドバイスが思いつかないから、つい頑張れと言ってしまう。
だから、選手やコーチから「頑張れ」「頑張ります」という言葉を聞くと、こりゃだめだと思うようになりました。(笑い)
具体的な目標がない、やるべきことが描けてないから、「頑張る」という言葉がでてしまう。
富田氏
そうですね、クリアーすべき点が明確なときの指示は、「頑張れよ」じゃないですね。
鈴木氏
例えば、高校生で、才能はあるのに結果が付いてこない選手がいる。そこで、200を泳がせてから、目をつむって立たせて、スタートからゴールのまでのことを思い描かせます。
富田氏
頭の中でリハーサルをする。抽象的な「頑張れよ」ではなく、メンタルトレーニングを実践してらっしゃるんですね。
鈴木氏
はい、そうですね。で、100mで完敗した原因を考えさせるんです。本人は、本気で戦ったと思い込んでいるのですが、そうじゃないんですね。その子が本気になったときには、顔が真っ赤に変わるんですが、100mのときは、そんな様子は窺(うかが)えませんでした。そのことを伝えて、「本気で戦っていなかった」と。
富田氏
ふだんから、選手をつぶさに観察していなければ、絶対にできないアドバイスですね。
鈴木氏
50mでは、コース紹介のときに顔が真っ赤に変わってましたから、勝てると思いました。
富田氏
鈴木先生のお話を聞いていて、多くの親との決定的な違いを感じますね。
今の親は、実はそこまで自分の子供を見ていません。鈴木先生の場合は、試合に勝つという明確な目標設定があって、それを現実化するために必要なことを吟味しながら、個々の子供を見ているからいろいろなものが見えてくる。
しかし、いまの親に、果たしてそういう明確な目標があるかどうか疑問です。
子供を育てるとはどういうことで、具体的に何を当座の目標に置いているのか。そういう視点がなければ、なにも見えてこないでしょう。
友達のような関係と言いますが、親が子供の顔色を窺っているにすぎません。
怒っているとか、機嫌がいいとか、そんな一時的な子供の感情に振り回されても意味はありません。
子供が親から自立するとはどういうことか・・・。
子供が一人前になるとは、どういうことか・・・。
しっかりと見直す必要がある。そんな観点から子供を見られるようになると、今よりいろいろなことが見えてくると思うんですね。
鈴木氏
その通りだと思いますね。
富田氏
「放っておけば育つ」という無責任な放任や、「なにがなんでも医者にする」といった過剰な期待という両極端な間で、常識的なところが欠落しているという印象を受けます。広い意味での見通しがないんですね。
その中で、水泳に通う、そろばん塾に通う、ピアノを習う・・そんな日々の生活を通して、子供が徐々にわかってくる。
会社の仕事でも、大きな見通しが立てられないなら、ベテランの人の手助けを受け、そこから学ぶしか方法はありませんよね。
なんとなくうまくいくだろうという「楽観論」だけで、あるいは、過剰な「期待論」だけで子育てに臨むから、道を誤る子供が出てくるように思います。
受験でも、受かった、落ちたという結果だけでなく、子供が受験に立ち向かう過程をみていれば、親は、適切な評価を与えられるはずです。
そうした過程がないから、表面的な結果だけで、結論づけてしまう。志望校に受からず、他の学校へ行くことで、子供が負け犬意識を持つとしたら、それは親の責任も少なくありません。
親は、子供の人生のほんの一部しか面倒をみられないわけですから、その期間に子供を一人前にしていく責任があります。
将来の見通しもなければ、いま目の前で起きていることへの対応も、理解もない・・・これでは子育ては無理ですね。
「お任せします」といっていた昔の親は、行くべき方向だけしっかり持っていて、その上で、担任の先生に任せるという、一種、腹をくくるところがありましたが、いまは、腹をくくるという姿勢も見られないのは残念ですね。
鈴木氏
主任会議で、ディスカッションをやるのですが、たまたま前回は教育というテーマでした。そのとき、私は「教育とは、正しい判断が出きる人を育てることだ」という話をしました。
日々の生活で、常に人は判断を求められていますよね。その中で、正しい判断ができるようにすることを教育と呼ぶ・・・これが素人流の私の持論です。
じゃ、だれがそれをやるか・・・
会議では、あなた方だったらできるし、そういう場も与えられていると言います。だから、正しい判断をするための方法を身につけておきなさい、と。
どちらかを選ばなければいけないというシチュエーションが毎日毎日、スイミングの現場で見られます。だからこそ、丁半博打ではいけないんですね。
受験勉強や、学業がすべてだと思ってしまったら、学校の先生任せ、親任せになってしまう。でも、スイミングのコーチでも、「正しい判断が出来る子供を育てる」という一翼を担えるなら、それは立派な教育者だと思うんです。
富田氏
最終的には、教育を受けた人間がどう考えるかの問題ですね。その人が社会人として立派に生きていく手助けになればいい。さらに、自分で思考して、自分で行動して、自分で責任を持つ、そうした人が育たなければ、教育ではありません。言われたことに従うだけなら、機械で十分です。それは人間としてけっして高度な能力ではありません。自身の判断で決められるというのが、とても大切なことですね。そうしたことを身をもって教えるという場がスイミングスクールであったら、素晴らしいと思いますね。

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