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富田 たかし先生
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「アクアライフコミュニティーが地域社会に元気と希望を与える」をテーマに、
便利さや効率を目指すことで失ってしまった私たち日本人へ、人間力向上を促す「文泳両道」で心の栄養や癒しを補給する各種オリジナル・ビタミンをシリーズでお届けいたします。
ご案内役は、テレビやラジオでおなじみの心理学者・富田たかし先生です。

今回のゲストは、オリンピック日本代表・出版や講演活動でおなじみの萩原智子さんと世田谷スイミング、公共施設の運営代表の村尾清和氏です。
ビタミンP(ポジティブ)の力で、コンプレックスを払拭する
というタイトルでお届けいたします。

ビタミンP(ポジティブ)の力で、コンプレックスを払拭する
萩原 智子氏
富田 たかし先生

ポジティブの力で、コンプレックスを払拭する

富田氏
萩原さんは、いつ頃から、大きくて、目立つようになったんですか?
萩原氏
幼稚園の頃からです。人と違うと気づいたのが小学校4年ぐらいですが、嫌だったですね。
富田氏
嫌だったでしょうね。子供時代は、背が高いだけで目立つシーンが多いですよねー。
萩原氏
そうなんです。
富田氏
そうしたコンプレックスを乗り越えるポイントに、水泳があったんじゃないですか?
萩原氏
そうですね。誰もがコンプレックスを克服するきっかけがあると思うんですけど、私は水泳でした。やっぱり、自分の居場所がしっかりすると自信が持てるようになって、周りのことが気にならなくなりました。進むべき道を見つけたっていうか目標を見据えることができたのが大きかったかなって思います。
富田氏
目立つことが嫌じゃなくなったわけじゃないけれど、目標のようなものが出てくると、それまで気にしていたことが、あまりたいしたことじゃないように思えてくる・・。その辺は上手に乗り越えられたようですね。萩原さんは「居場所」と表現されましたけど、そういうところを見つけるのは、実は簡単なことじゃないんです。
萩原氏
そうですね、きっかけって難しいですね。与えられるものじゃないし、自分自身で感じて見つけ出さなきゃいけないのかなって・・・。
富田氏
出会いでしょうね。自分から積極的に探して、しかも相性が合ったのでしょうね。スポーツに進むという・・。
萩原氏
水泳に出会う前に、いろんな習い事をやりました。その中で、初めて自分から「やりたい」って言ったのが水泳だったんです。
富田氏
まさに出会いですね。それまでどんな習い事をやったんですか?
萩原氏
ピアノ、習字、絵画、英会話・・・女の子が習うものは母に一通りやらされました。でも、どれも3ヶ月続きませんでしたね。全部私に合わなくて・・。どちらかといえば、体を動かして外で遊んでいたいタイプでしたから。
富田氏
なるほど。
萩原氏
で、最初は溺れたのがきっかけだったんですけど、自分から水泳をやりたいと思ったんですね。
富田氏
ふつう溺れる体験をすると、それが恐怖心となって水に近づかない人も多いと思いますが、萩原さんの場合は、まったく逆ですね。
萩原氏
そうですね。でも、泳げなかったけど、毎年のように家族で海へ旅行に行っていたので、海もプールも大好きでした。そうした家庭環境も幸いしたのだと思います。
富田氏
確かに家庭環境は、コンプレックスを克服する大きな要素です。でも、もともと水が好きだったんだ・・・。で、たまたま溺れて、これじゃ、海やプールで楽しめないと気づいたのかもしれませんね。
萩原氏
ええ。姉がすでに水泳を始めていたので、私が浮き輪をつけてぷかぷか浮かんでいる傍で、もう、姉は綺麗なフォームで泳いでいたんですね。
富田氏
あー、それは動機として大きいですね。
萩原氏
で、私も姉みたいになりたいと・・。
富田氏
身近なところに、お手本がいるっていうのも、恵まれてましたね。
萩原氏
そうですね、いろいろな面で恵まれた環境だったと思います。
富田氏
初めてスイミングスクールへ行ったときはどうでした?
萩原氏
初めての時のことは、忘れませんね。同じ年頃の子が綺麗に泳いでるのを見たとき、「あっ、ここに通えばああなれるんだ」って。
富田氏
なるほど、とっても前向きな子供だったんですね。
萩原氏
周りが前向きにさせてくれました。たとえ失敗をしても、ただ怒るのではなくて、その理由を考えさせるような感じでしたから。そして、うまくいったときは、ちゃんと誉めてくれる。他のことができなくても、ひとつできると、ちゃんと評価してくれるような・・
富田氏
子供の才能を伸ばす、ひとつの賢い方法ですね。で、水泳教室に通ってみてどうでした?
萩原氏
最初は、泳ぐ真似をしてごらんなさいって言われました。でも、全然ダメ。それでも、出来ないって事実を指摘されるのではなくて、「バタ足はできるんだから、このクラスから始めましょう」って、とても前向きなんですね。
富田氏
まず、できることを見てくれるんですよね。それは、指導法として上手なやり方だなー。バタ足しかできなかった自分がどんどん進歩していくのがわかったでしょう?
萩原氏
そうなんです。毎回、通うのが楽しみで、週2回のクラスだったんですが、毎日、通いたくなりました。
富田氏
好きになる環境に恵まれていましたね。萩原さんが、もともと向上心が強い上に、体を動かすのが好きってこともあったと思いますが、サポートする環境も周りに整っていたように感じます。
萩原氏
スイミングの関係者の方も、家族も、私を取り巻くすべてが本当に素晴らしい人ばかりで、そこから得たものはかけがいがないですね。小学校の先生もそうでしたけど、スイミングの先生も、「大きな体だから、それを活かした泳ぎをしなさい」っていうように、とても前向きに捉えてくれた。小さい頃は、特にそうしたバックアップが大きかったと思います。
富田氏
最初は、少しずつ泳げるようになるのが楽しくて、次に速く泳ぐのが楽しくなる・・・で、ある程度の段階で、試合に出てみるって話になると思うのですが、そのときはどうでした?
萩原氏
泳げなかったのに、目標はスクールに入ってオリンピックに出ることだったんですよ。
富田氏
なんかメダルも貰えるらしいし、みたいな・・(笑い)
萩原氏
そう、そうなんです。だから試合に出られると決まったときは、そこへ一歩近づけるんだって、感じでした。
富田氏
そこでオリンピックって思えてしまうところも、前向きですね。
萩原氏
スポーツ観戦が好きな家庭だったので、テレビ見ながら、いつかはオリンピックへ、みたいな冗談はいつも言っていました。
富田氏
最近は、人が頑張っているのを見て、冷たく突き放すような傾向がありますが、そんなところもポジティブというか。前向きな家族だったんですね。
萩原氏
ええ、すごく前向きだと思います。
富田氏
すると、その勢いで日本代表まで登りつめたような感じがあったんですか?
萩原氏
はい。でも当初は母が反対だったんですよ。とても親密な家庭だったので、一週間の内に一日しか休みがとれないと、家族で一緒に過ごす時間が限られてしまう。「大丈夫?」って何回も確認されました。でも、私としては、なによりも水泳を優先させたいって思っていました。

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