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コラム
富田 たかし先生
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「アクアライフコミュニティーが地域社会に元気と希望を与える」をテーマに、
便利さや効率を目指すことで失ってしまった私たち日本人へ、人間力向上を促す「文泳両道」で心の栄養や癒しを補給する各種オリジナル・ビタミンをシリーズでお届けいたします。
ご案内役は、テレビやラジオでおなじみの心理学者・富田たかし先生です。

今回のゲストは、オリンピック日本代表・出版や講演活動でおなじみの萩原智子さんと世田谷スイミング、公共施設の運営代表の村尾清和氏です。
ビタミンP(ポジティブ)の力で、コンプレックスを払拭する
というタイトルでお届けいたします。

ビタミンP(ポジティブ)の力で、コンプレックスを払拭する
村尾 清和氏
萩原 智子氏
富田 たかし先生

謙虚さとハングリーさが、次の段階へと人をステップアップさせる

富田氏
コンプレックスをゼロにすることはできないと思いますが、それを逆手にとって、自身へのバネにすることはできます。ネガティブなものはなくならないけれど、ポジティブなものを増やすことはできます。たとえば、引っ込み思案で対人関係がスムースにいかない子がいるとき、周りが励ますだけではダメで、その子が夢中になれるものを探し出して、それを磨いていく・・その過程で得られた裏受けのある自信が大切なんです。
そうして培われた自信が、どんどん大きく育てば、相対的にネガティブな意識や不安が、小さくなります。その為には、周りの人間のサポートが不可欠です。その子のやっていることを、きちんと見て、お手伝いをする。そのお手伝いの仕方っていうのは、その子が何かを乗り越えるための、正しい努力の方法を教えてあげるってことだと思うんです。
一回、自信を掴んでしまえば、その後の人生のいろいろな場面で応用ができるようになって、ますます自分に自信が持てるようになります。英語をマスターした人は、フランス語やドイツ語など他の言語も身につけやすいと言われますが、あれは、英語で語学の「学び方」を学ぶから、それを応用して、他の言語にも容易にチェレンジできるんですね。
子供も同じで、ひとつ自信を得る方法を学んでしまえば、その後の人生に大きな財産になると思います。
ところで、村尾先生は、水泳界の先輩として、萩原さんをどのようにご覧になっていたんですか?
村尾氏
萩原さんは、常に周囲への感謝を忘れない人ですね。スポーツというのは、個性の強い人、ハングリーさに溢れている人が強くなると言われます。そういう意味では、萩原さんは、例外なのかもしれません。
オリンピックまで進む多くの選手は、片親だったりなど、環境的にあまり恵まれていない人が多く、逆境に置かれたぐらいの方が、大成するというデータも残っています。
いまは、ごく普通の家庭でも、朝食も夕食も共にするという家庭は少ないでしょう。そうした意味では、萩原さんは、とても恵まれた家庭環境で育った選手だと思います。
日本水泳連盟の古橋名誉会長も、萩原さんを高く評価していました。多くの人に好感を持たれた選手のひとりなのは間違いありませんが、その背景には、素晴らしい家庭環境があって、それが萩原さんの人格を作ってきたと思います。選手の中には、強ければ我が侭でも良いという人もいます。中学時代から合宿などで、強くなければダメだと言われ続けた選手・・そんな環境で育った選手とは、萩原さんは明らかに違いますね。萩原さんは、強いことがすべてではなくて、周りにもきちんと気遣いのできる選手ですから。
富田氏
競技って観点からいえば、当然、結果が求められる。結果を出せる選手が優秀な選手なわけですから、多少、我が侭でも認めようとなるのでしょうが、でも、誰も永遠に勝ち続けることはできないですね。すると、後で本人が、一番困るんじゃないでしょうか。選手をやめるときに大きな困難を抱えるように思えるのですが、どうでしょう?
村尾氏
それは、その時になって初めて気づくのでしょうね。
富田氏
あ、そっか。後悔先にたたずですね。
村尾氏
はい。でも、選手時代には気づかないものです。選手は、その時その時、全勢力を注いでいます。とても、選手生活後のことなど、考えられないですね。
富田氏
現役のスポーツ選手が終身所得なんか考えていたら、強くなれるはずがないですね(笑い)まぁ、我が侭が通ることで、お山の大将になってしまう・・そんなマイナス点があるにしても、水泳という競技に打ち込むことで得るものは、かけがえがないほど大きいでしょう。
たとえ、選手生活後に、多少、つまずくことがあっても、そうした選手生活を体験できたことは、うらやましいと思います。結果がどうであれ、ひとつのことに熱中するという経験を積めることは素晴らしい。今の時代、熱中できるものが見つからなくて、苦労している人が、多いと思いますねー。
萩原氏
私のスクール時代を振り返ると、人から強要されるのでなく学習できたように思います。学習って、最初は与えられるものだと思うのですが、それは最初だけで、後は、自身で学んでいかなければ意味がないでしょう。コーチから課題を与えられて、最初できなくて悔しい思いをするところから、その課題と向き合って、何ができるか、何が工夫できるか・・・。そうした考え方をコーチに教えてもらったので、巡り会えた指導者が素晴らしかったのだなって、いま、実感しています。
富田氏
萩原さんが話されたことって、教育上とても重要なテーマで、戦後すぐあたりから、教育現場で論議の対象となっています。すでに出来上がったプログラムを、順番にクリアしていく・・。萩原さんが指摘した「学ぶ」姿勢は、本来、教育のプログラムに組み込まれていなければならない。子供の自発性を、教育の中でどのように引き出すかってことですね。
とはいっても、たとえば水泳を例にすると、個人の創意工夫で生まれる十人十色の泳ぎ方があったとしても、合理的に進歩を望める泳ぎの基本があるわけで、そこを身につけないと、その先の段階に進めない。すると、学習のプログラムは、しっかり出来上がっていないと困る。でも、その中に、本人が考えて、本人が工夫して、会得する・・・まさに学ぶということですね。その要素が加味されることで、さらに向上が見込まれる。そうした学ぶ姿勢が身に付くと、教える側は100言わなくても、20とか30を教えるだけで、後は本人が自主的に学ぶという現象が期待できるわけです。ですから、自発性をいかに高めるかが、教育上の大きなテーマとなっています。
現状、あまり効果が現れていない「ゆとり教育」も、原点はそこにあったわけです。いまは大いなるジレンマになっていますが・・・(笑い)
大切なのは、本人がどれほど自発的に取り組んでくれるか。また、教育者が、その気にさせられるか・・ですね。萩原さんがさきほど話された目の前に泳ぎの上手な人が現れる、お手本がいる、これは自発性を引き出す、良いきっかけになると思うんです。そして、課題を与えられて、それをクリアするために本人に考える余裕を与える、これも大切ですね。よくお母さんが、子供ができないでいると、「それはこうやるのよ!」って、手助けしちゃう(笑い)そこをじっと我慢して、子供を見守る姿勢が大切なんですね。
そういう点では、萩原さんが通ったスクールは、たまたまだったのか、高度な戦略が隠されていたのかわからないけれど、とても理にかなっていると思いましたね。
萩原氏
私を指導してくれた神田監督は、まさしくそんな感じでした。ウエイト・トレーニングにしても、私がやりたいと言い出すまで待っているんです。
富田氏
やっぱり待てる方だったんですねー。
萩原氏
自発的にやりたいと思わない限り、身に付かない。意味も分からずにやったところで、良い結果は得られないという考え方の監督でした。何のためにキックの練習をするのか、ウエイトトレーニングをするのか、自主トレをするのか・・それらを理解できるようになったのは高校生からでしたけど、自分で考える時間、向き合う時間を、しっかり作ってくれた監督です。
富田氏
試合前の練習計画は自分で立てていたんですか?
萩原氏
試合に合わせて、3ヶ月間を1クールとして練習するんですが、主な内容は監督が作ってくれました、ただ、試合前、一週間ぐらいは、自分のコンディションやテンポに合わせて、練習していました。
富田氏
なるほど。ひとつ面白いデータがあるんですが、アメリカの高校で、試合前にどれくらい練習するかを選手に任せるっていう実験があったんです。すると良い成績だった選手達は、通常よりも過剰な練習を自分に課したのですが、思うような成績をあげられなかった選手達は、通常通りの練習量だったという結果が出たんですね。
この調査を実施した心理学者が分析するには、良い成績をあげられなかった選手達は、ダメだった場合の言い訳を最初から用意していた、と指摘しています。練習量が足りなかったから、本来の実力を発揮できなかったと・・。つまり、試合前に自分でハンディキャップを設定している。逆に、良い結果を出した選手は、そうした言い訳を予め用意しない。これって、まさに試合前に自身にどんな練習を課したかという自発性の表れなのですね。
村尾氏
たぶん、萩原さんが自分の練習を考え始めたのは、中学生の後半から高校生にかけてからだと思うのですが、自分で考えて行動を起こせるようになるのも、やはりその頃ですね。コーチの指導法に反発したり、他のスクールの生徒に練習法を確認したり、考えたり、情報を集めたりし始めるんです。
それを自分のために消化できる人と、批判だけに終わる人がいますけれど、そもそもコーチとの葛藤を体験して、乗り越えるぐらいの気持ち的な強さがなければ大成は望めないと思います。その点、萩原さんと監督の間には、きっと強い絆と信頼があったのだと理解しています。
やはり選手には、それぞれの段階で成長と変化があるわけですから、指導者は、その辺にしっかり目を配っておかないといけません。全般的に、いまのコーチは、号令ひとつで、言うことを聞かせるのが正しいと思い込んでいる節があります。だから選手との軋轢が生じた時に、うまく対応できないという側面があるのだと思いますね。
富田氏
以前、先生の世田谷スイミングにお伺いした際、小学校の低学年ぐらいの子供たちが、本当に楽しそうに練習していたのが、強く印象に残っているんですが・・・。
村尾氏
ええ、あの年代は、ただただ泳ぐことが楽しくてしょうがないんですね。
富田氏
そうですよね。あの「楽しい」という中に、後々、大事になる自発性の芽があるように思います。
村尾氏
でも、指導者なら、楽しさの中で、もっと基本をきちっと教えなければいけません。それが、現状のスクールでは、プログラムをこなす交通整理の役割しか果たしていません。本当の指導ができているのかと問われると、私はちょっと疑問が残るように感じていますね。
富田氏
確かに、ただ泳いでいれば楽しいという時期を過ぎたとき、なにも教えてもらっていないとすれば、それこそ「あの楽しい時間は、なんだったんだろう」って話になってしまいますよね。
水泳に限らず、善悪の判断でも、小さい頃は、「しでかした」ことの大きさだけが問題になる(笑い)、それが、だんだん動機や意図が問われる、さらに責任のあり方を考える・・そんな段階を経て、徐々に個人の中に善悪の基準が形成されるわけですね。
だから、小さい頃でも、楽しいことの先にあるものを、指導者が的確に掴んでいる必要があるんですね。

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