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特別講演
身体と心を鍛え、他者と競い、
高峰へと昇り詰めるのがスポーツの醍醐味です。
故古橋 廣之進先生
マン・ツー・マンではなく
グループ指導の中にこそ、子供たちの人間力を育てる鍵があります。

水泳に強い愛着を抱いていたものの、私は学徒動員での作業中に、指に大けがを負っていたのです。麻酔も無く手術された指は、先を失っていました。医者に「この指はまた生えてきますか?」と聞いて、あきれたように「そんなわけないだろう」と失笑されたのを覚えています(笑)
指を怪我して、もう速く泳ぐことはできないだろうと、諦めていたものの、水泳部復活と部員募集の張り紙を見て、とりあえず練習を見に行くことにしました。戦時中、大学のプールには焼夷弾が落とされて、大きな穴が空いてしまっていたので、練習は、現在の京王線・東松原にある日本学園中学のプールを借りて行われていました。見学に行くと、練習しているのは、大学を代表する水泳部ではなく、経済学部、法学部、医学部など学部別に、水泳好きが集まった合同練習でした。
下宿先は鶴見で、大学の講義は藤沢でしたから、それから世田谷の東松原に通うのは至難の業です。実際、通いはじめると汽車は1時間に1本程度で、来ても満員で乗車できなかったり、列車の屋根にぶらさがるなど、たいへんな苦労でした。プールの水も戦中は防火用水として利用されていた為にドロドロで、ゲンゴロウと一緒の練習でした(笑)今考えれば、よく病気にならなかったものです。
そんな劣悪な環境にもかかわらず、水泳部に入部したのは、水泳への思いが強かったことに加えて、日頃の講義では接点の無い、各学部から集まった興味深い仲間たちとの出会いが大きかったと言えます。
スイミングスクールにお子さまを通わせている父母の方にお伝えしたいのですが、父兄の方の中には、スクールの指導を見学して「なぜ、マン・ツー・マンで、教えてくれないのか?」と指摘される方がいます。しかし、コーチとの1対1の指導だから、上手になる、速くなるというのは誤りです。大切なことは、学校とは違った環境で、出逢うはずのなかった子供たちと一緒に、水泳というスポーツを通して、身体と心を鍛えることにあります。よく子供たちを観察していると気づきますが、子供たち同士、相手の泳ぎをよく見ています、そして、いい所があれば取り入れよう、速い子がいたら真似してみようと、絶えず前向きに努力します。大切なのは、こうした学ぶ姿勢であり、子供同士の言葉での、身体でのコミュニケーションなのです。幼い時に、スイミングの通った経験が将来の礎となるのは、こうした出会いや、競争、助け合いの精神を学ぶからだと言えます。

 

自分自身で創意工夫を続けることが
才能を伸ばす活力となります。

こうして水泳部に入ってしばらく練習を続けていると、母危篤、すぐ帰れ≠ニいう電報を受け取りました。帰ってみると、母は、風邪をこじらせて肺炎を患っていました。まだ抗生物質など無いときで、人づてに鯉の生き血が良いと聞かされて、与えてみたりしましたが、介抱のかいもなく母は間もなく他界しました。
父と兄弟9人が残されましたが、一番下の妹はまだ2歳です。農家といっても規模はしれていて、食べていくのもやっとの状況です。とても大学に戻る場合ではないと諦めていました。ところが、このときも父が、「水泳を始めたそうじゃないか、戻って一生懸命やってみろ」と助言してくれたのでした。そして、少しの小遣いとお米を分けてもらって、鶴見の下宿へ戻ることになりました。
また、元通りの鶴見、藤沢、東松原を行き来する生活が始まりました。すると、今度は、戦争で破壊されたプールを修復するという話が持ち上がりました。ところが、水道水を使うとプールの容量は大量ですから、近所がすべて断水になってしまう。そこで、昼間は井戸水、よる寝静まった頃合いを見計らって、水道水を入れることで、なんとか大学のプール再開にこぎつけたのでした。
私が大学に入って、最初に出場したのは、日大、明治、立教という当時の水泳強豪校が揃った3大学対抗戦でした。「おまえは田舎に戻っていて練習が足りないから、人の何倍も練習しろ」と言われて、猛練習がスタートしました。しかし、練習を積んでも、どこか納得がいきません。指先を失ったせいで懸命に掻いても、思い通り進まないのです。そこで、それまで右呼吸だったのを右に変更すると、左腕が思い切り掻けるようになりました。脚も、腕の動きに連動させて、6ビートだったのを、4ビートから4ビート半に変えました。この修正が功を奏して、調子が上がって行きました。
余談になりますが、この大会を振り返ると、当時のタイム測定は、ずいぶんと原始的だったのを思い出します。戦後間もない占領軍時代の話ですから、スタートにピストルなど使ったら、大騒ぎです。すぐに米軍のMPが飛んで来て連行されてしまう(笑)そこで、スタートは、よーい、手叩きでした。よーい、パチン!です(笑)ストップウォッチもありませんから、各人の腕時計を持ち寄って、「あ、そんなちっちゃな秒針じゃ見えない」(笑)できるだけ大きな秒針の腕時計を集めると、配られたわら半紙にタイムを記入する訳です。プールの両端に学生が立っていて、選手が到着すると、パチンと手を叩く。叩かれた時刻を何時何分何秒と記入して、到着時刻から出発時刻を引き算してタイムを出す(笑)今思えば、本当に凄い時代でした。
さて、大会では、私は400と800の自由形にエントリーされていました。自分なりに研究して、工夫して、試行錯誤をして、納得のできる泳ぎになっていたので、ひょっとするといいところへ行けるかもしれないと思っていたのですが、意に反して、両種目とも優勝してしまいました。びっくりしたのは周りの人たちで、「どうして、そんなに速いのだ」と。でも、こっちはただ一生懸命泳いだだけなので、理由を聞かれても判る訳がありませんでした。

ここで、水泳の練習に励んでいる子供たちに伝えたいのですが、水泳に限らず、自分で創意工夫する努力を怠らないで欲しいのです。コーチのアドバイスを聞くことはもちろんですが、だからといってコーチに任せきりでもいけません。泳ぐのはコーチではなく、選手自身です。泳ぎの欠点を練習の中で見つけて、直して行く、自分に合ったフォームを研究して追求してみる。そんな探究心や泳ぎを極めようという経験が、これからの長い人生できっと貴重な財産となってくれるはずです。
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