アクアプロ
ホーム > コラム > ビタミンS(自信)
コラム
富田 たかし先生
プロフィール >>
「アクアライフコミュニティーが地域社会に元気と希望を与える」をテーマに、
便利さや効率を目指すことで失ってしまった私たち日本人へ、人間力向上を促す「文泳両道」で心の栄養や癒しを補給する各種オリジナル・ビタミンをシリーズでお届けいたします。
ご案内役は、テレビやラジオでおなじみの心理学者・富田たかし先生です。

今回は、世田谷スイミングの選手を取上げ、
人間力向上を促す「文泳両道」ビタミンS(自信)が内発性を生み出す
というタイトルでお届けいたします。

人間力向上を促す「文泳両道」ビタミンS(自信)が内発性を生み出す
村尾 清和氏

第3節
自信が内発性を生み出す

ここに一人、プールへ通うことで、「内発性」を開発した女の子がいる。昨年、見事に有名私学中学の受験に成功したさきちゃん(仮名)だ。
さきちゃんは、幼稚園の年長の頃から世田谷スイミングスクールへ通いはじめた。
村尾先生によれば「さきちゃんは、スーパーチャイルドという週6日、毎日泳ぐコースに通っていました。子供たちの練習を指導していて感じるのですが、8歳ぐらいまでは、練習が楽しくてしかたないようですね。大人からすると、ただプールの端から端を往復するだけでなぜそれほど夢中になるのだろうと思うのですが、その年代は、本当に、いきいきと楽しそうに練習します。それが、10歳くらいになると、タイムが伸びない、他の人や親の目が気になるなど、泳ぐことを純粋に楽しめなくなる。さらに中学生になると、ゲームや異性など興味の対象が広がって、泳ぐ意欲、そのものが薄れてくるようです」
さきちゃん自身は、この時代のことを「正直、あまりはっきりと覚えていません。でも、お友達と一緒で、とにかく楽しかったように思います」
はたして、どんな楽しい練習なのだろうか・・・。
さきちゃんが、幼稚園の時から通いはじめたという「スーパーチャイルド」の練習風景を覗いてみると、コーチは付いているものの、手取り足取りといった練習風景は、そこにはない。子供たちは、順番に飛び込むと、クロールであったり、平泳ぎであったり、バタフライだったり・・・思い思いのスタイルで、自由に泳いでいる。25mプールを泳ぎ切ると、また、スタート台に戻っていく。途中で、何事かコーチに声をかけられ、明るい、大きな返事が館内に響いている。
そこには、スイミングスクールと聞いて、すぐに想像してしまうような分刻みのスケジュールもなければ、決まったカリキュラムもないようだ。子供の自主性がすべてだ。一見、ひどく退屈な練習風景に映るが、プールから上がってくる子供たちは、みんなが活き活きとした笑顔に溢れていて、なにより夢中で練習を楽しんでいるのが伝わってくる。村尾先生の言うとおり「楽しくてしょうがない」といった輝きがある。
さきちゃんは、この毎日の練習の中で、だんだんと意識が変わり、自分なりの練習法と楽しさを見つけていく。
「最初は、みんなと泳いでいるだけで楽しかったと思うのですが、そのうちに、タイムが気になりだして。で、タイムゲージを見て、何秒で泳ごうって・・」
タイムを伸ばすために、どうすればいいのか・・・そこでさきちゃんの独自の工夫と、反復練習があり、そして、ポイントポイントで、適切なコーチの指導が加わった。
「そうですね。私から聞きに行ったり、悪いところは、注意してもらったり、です。で、どんどんタイムが伸びると、もう楽しくって、楽しくって・・・」。
確かにさきちゃんは、最初から水泳好きな女の子だったのかもしれない。しかし、彼女の「内発性」を育てたのは、それだけではない。
村尾先生が、こう指摘する。「私は、コーチたちに、やたらにさわるな! いじるな!と指導します。私自身、若い頃は常に全力投球で、熱血指導こそが、子供のためであり、上達の早道だと思ってきたのですが・・・。でも、実際は、正しくなかった。15mやっと泳げるかどうかという子供に、やれ手の入水角度が違うとか、脚のキックが間違っているといっても、聞く耳は持ちません。いや、持てないと言った方がいいでしょう。子供たちは、とにかく15m進むことで精一杯なのですから」
右も左もわからずに教室へ通いはじめ、やっと少し泳げるようになったと思ったのに、コーチから口うるさく注意されてしまったら、せっかく芽を吹きはじめた子供たちの「内発性」は、すぐに萎んでしまうだろう。
村尾先生は、長年の経験で培ったコーチングの重要性に触れて、「適切なタイミング、適切なポイントでコーチングすることがなにより大切です。コーチの自己満足のために指導するのでは、子供の才能を潰すことにもなりかねません」という。
さて、さきちゃんの中で、少しずつ育ちはじめた「やる気」は、世田谷スイミングスクールの優れた指導で上手に育てられながら、大きな夢に向かって挑戦しはじめる。
それは、小・中学生スイマーなら誰でもが夢舞台として憧れる「全国ジュニアオリンピックカップ」への出場だった。年に2回、通称JOと呼ばれるこの大会は、いってみれば水泳の「甲子園」に匹敵する大会で、出場しただけで未来の日本水泳界を担うホープと見なされるほど、価値のある大会だ。出場権を得るために各予選を勝ち抜き、標準タイムもクリアーしなければならない。そこには、「甲子園」出場と同様に、熾烈な競争とプレッシャーがあるものだが、さきちゃんは当時を振り返って「うーん、練習が嫌だったって記憶はないです。て、いうより苦しいけど楽しかったっていうか・・・、苦しいのが楽しかったみたいな・・・」
人は誰しも、苦しいことことから逃げたがる、と古今東西、相場は決まっている。とくに、最近の若者には、この傾向が強いと指摘されているのだが、さきちゃんは苦しいことに、逆にやりがいを見いだしたという。
「泳ぐたびにタイムが更新するような時期があって、とにかく楽しかったです。苦しければ苦しいほど結果が出ると、なんか、その苦しさがくせになるみたいな感じで・・・(笑い)」
さきちゃんの「苦しさ」は、単純な苦痛ではなくて、自分自身の目標に、敢然にしかも冷静に挑む姿勢が見て取れるのだが、実はこの背景にも、世田谷スイミングならでは、のあるマジックが潜んでいた。
それは「100%の力で練習しない」というユニークな方針である。村尾先生は、こうした考え方について「常に練習で子供に100%の力を強要したら、肉体的にも精神的にも追いつめられる状況を作り出してしまいます。これでは、コーチがどんなによい助言をしても、精神的に受け入れられないですし、肉体的にも助言を実行する余力が残っていません。また、よく言われる「いっぱいいっぱい」の状況では、思考能力も低下していますから、自分の泳ぎを冷静に判断して直すこともできません。ですから、練習では子供の能力を100としたら60〜70%の力で、繰り返し反復練習するようコーチたちに伝えています」
この意見に、富田教授は、学校の授業にも同様の指摘ができるという。「練習問題が一回できたからといって、子供が完全に理解したと思い込み、すぐ次のステップに進もうとするのは大きな危険を孕んでいます。基礎ほど何度も反復して学習し、しっかり身につけないと、先に行くほど、学習が進むほど、「落ちこぼれ」を多く生み出してしまいます。そうした意味で、6〜7割で、何度も繰り返し反復練習する世田谷スイミングの練習は理にかなっているといえます」
こんな恵まれた環境で、メキメキと腕を上げたさきちゃんは、ついに小学校5年の時に、JOの春季大会への出場を果たす。
初出場を果たしたとき、彼女はどんな気持ちだったのだろう。「嬉しかったし、わくわくしていました。うーん、そんなにプレッシャーとかは感じませんでした。結果がどうってことより、今の自分が、全国レベルでどのくらいの位置にいるのか知りたかったから・・・。それに大きな大会にでることで、ちょっとだけ度胸がついたかも・・」
水泳を楽しみながら、実力も身につけ、さらに結果まで辿り着いく・・・どこまでも順調に見えたさきちゃんの前に、小学生の高学年なら誰もが経験するハードルが現れた。中学への進学問題が、それである。
冒頭で触れたように、多くの子供たちが、せっかく入学したのに、4泳法すらマスターすることなくスクールを去っていくのだが、その理由の多くは「他の習い事をさせるため」であり、「塾へ通うため」であり、「進学に備えて」である。
さきちゃんも、同様の問題に着面して、担任の先生から「そろそろ、ちゃんと進学の準備をする頃だよ」と言われたのだという。それを受けるように、お母さんからも「そろそろ・・・」と、ある夕食の時に、釘を刺されてしまう。
さて、受験を控えたごくごく普通の小学生だったら、どうするだろう・・・。どんなに水泳に打ち込んでいたとしても担任とお母さんから、こんな風にいわれたら、どこまで自分の意志を貫くことができるだろう・・・それどころか、自分の気持ちをどこまで説明できるだろう・・。
驚かされたのは、さきちゃんが担任とお母さんの説得に「NO」という返事を突きつけたことだ。
「絶対に、水泳を辞めたくなかったのです、だから・・・。両立させる自信もあったし・・・」
さきちゃんの志望校は、都内でも屈指と言われる難関校で、担任の先生やお母さんの「そろそろ、受験に専念しなければ」という気持ちは容易に理解できる。
それから、数回、家族で話し合いが持たれ、担任の先生を交えた面談も行われたという。それでも、最後までさきちゃんは、自分の意志を貫いた・・・。そして、根負けしたお母さんが、「受験が終わったら、また、スクールに通ってもいいって、認めてくれたのです。それなら、まぁ、いいかって(笑い)」
そして、今、さきちゃんは、高校の水泳部に入り高校の大会を目指しながら、スクールにも通い、過去作った自身のベストタイムの更新に意欲を見せている。

さきちゃんを、意志が強く、学業にも秀でた特別優秀な子供だったと結論づけてしまうのは簡単なことだろう。でも、さきちゃんだけが、特殊な例なのだろうか・・?
もし、さきちゃんが水泳と出会っていなかったなら、世田谷スイミングと出会いがなかったら・・・。果たして現在のさきちゃんがあっただかろうかは、誰にもわからない。ひょっとすると、彼女は4泳法をマスターすることより、JOの大会に出場することよりも、もっと大切な何かを、世田谷スイミングに通うことで身につけたのかもしれない・・・。「内発性」という、どんな困難にも前向きに取り組む、オールマイティといえるほど大きな武器を・・・。
世の中、フリーターが400万人を越え、労働人口の約4人に1人を数え、働く意欲がわかないニート(若年層無業者)人口も急増し64万人に達し(平成17年労働白書)、ひきこもりは、社会問題化している。
ニートやひきこもりのインタビューなどを見聞きしていて痛感するのは、あてどない「自分探し」の途中であったり、その自分探しに疲れ切ってしまったなれの果てといった事例が多いことだ。
「怠け者」の烙印を押してしまうことは、たやすいが、その背景には、富田教授が指摘するような人の引いたレールに乗り切れない若者たちや、意識的にそこからドロップアウトしてしまった若者の姿も見えてくる。
富田教授は「内発性を喚起するような場は、そう多くはありません。その意味では、水泳教室が持つ役割は、関係者が認識する以上に大きいかもしれません。」
だが、「水泳教室」が、“内発性”を育てる装置として確立させるために、また、さきちゃんの事例が偶発的でないと実証するためには、クラブ、スクール、コーチなどすべての関係者が、置かれている立場を再認識すると同時に、そのためのプログラムが必要となるだろう。
世田谷スイミングと富田教授の大いなる実験は、まだ始まったばかりだが、今後には「水泳教室」という技能修得スクール以上の、なにかが、期待されているようである。

ページのTOPへ▲